私は、今でこそ自分をすり減らしてまで「いい子」をやる事は無くなりましたが、いい子でいたいいい子だと思われたいという思いはまだ ちょくちょく顔を出します。
過剰に「いい子」をやってしまう裏では一体何が起こっているのでしょうか?
「いい子」の心の奥には幼い頃に得られなかった(と思っている)愛情に対する欠乏感があります。
いい子でいれば欠けている「愛」が補える。そう思って「いい子」はせっせと人の為に働きます。
でも、その「愛」は幻想なんです。
いい子が求めている「愛」は「無条件の愛」
いい子でいれば貰える「愛」は「条件付きの愛」
そもそも貰いたいものと貰えるものが違っているのです。
いい子でいればいる程「条件付きの愛」ばかりが増えて「無条件の愛」に対する渇きがひどくなるのです。
その渇きを癒すためにいい子は更に いい子をやるという無限ループに陥っていきます。
いい子でいても「愛」が補えないならと破壊的な行動をしてどんな自分でも「無条件に愛を貰える」事を証明しようとする人もいます。
でも、それも愛を求める場所が間違っています。
仮に「愛」を得られたとしても
愛への要求がどんどんエスカレートして周りの人と自分を追い詰めてしまいます。
「無条件の愛」は人に求めると依存とコントロールを生みます。
肩の力を抜いて自分奥の静寂の部分に深く意識を向けてみて下さい。
「無条件の愛」は本当はそこにあるんですよ。
「いい子」の幻想
2020.01.17
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