昨日のブログではフレデリック・パールズの「ゲシュタルトの祈り」を紹介しました。
この詩の中の最後の一文
『たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ』
意味が良く分からないと思いませんでしたか?
違う2人が出会ってお互いの違いを容認して手を取り合う。
それが理想の人間関係なのに、出会えなくても(容認し合えなくても)同じように素晴らしいってどういう事??
最後の一文が無い方が詩として収まりがいいような気がするのに何故最後の一文があるのかずっと疑問でした。
英文を見れば意味が分かるかもしれないと思い調べてみました。
If not, it can’t be helped.
そのまま直訳すると
「そうでないなら仕方ない」
容認し合えないなら仕方ない?…なんだか冷たい。
私が教わった「同じように素晴らしい」は、意訳だったようです。
そんな疑問を解決してくれたのは、2017年の日本ゲシュタルト療法学会ニュースレターでした。
パールズは妻ローラと共にゲシュタルト療法を作ったのですが、二人の関係は上手くいっていなかったようです。
パールズとローラはお互い自己主張が強く彼はローラとの関係は“解決不可能”だと周囲に語りながらも、絆を断ち切らずに生涯を共にしました。
有名な心理療法を作った人が夫婦関係で悩んでいたなんて、人間関係の難しさと奥深さを感じますね。
ゲシュタルトの精神は「今ここ」に意識を置きすべてをあるがままに受け止めるという特徴があります。
そして、何が起きるかをコントロールせず、起きることを起きるに任せてありのままの自分で向き合う人間関係を大切にしています。
パールズが伝えたかったのは「容認し合えなくても(残念だけど)仕方ない」という否定的な意味ではなく
例え相手と相入れなくてもそれが自分と相手のあるがままを認めた結果なら「同じように素晴らしい」という事なんです。
辛くなった関係を断ち切る方便にゲシュタルトの祈りを使うのではなく相手との境界線を引いた上でベストな関係を模索する事の大切さをパールズは教えてくれています。
パールズは晩年この詩にこのような二行付け加えています。
『私とあなたが、私たちの基本。
一緒にいて初めて世界を変えられる』
l and You are the basis for We.
Only together we can change the world.
これが相入れない夫婦関係の末にパールズが辿り着いた境地です。
葛藤の中でこそ「ゲシュタルト療法」が生まれたのだと思うと
やっぱり起きる事の全てに意味があるのだと思わずにはいられません。
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