冬があり夏があり
昼と夜があり
晴れた日と
雨の日があって
ひとつの花が咲くように
悲しみも苦しみもあって
私が私になってゆく
~『悲しみの意味』星野富弘
星野富弘さんの詩画作品
「悲しみの意味」の詩文です。
私はこの詩がとっても好きで困難な事に遭遇した時にいつも読み返したくなるお守りのような詩です。
この作品には、あたたかみがあるサフランの花が一緒に描かれています。
星野さんは、中学校の体育教師として赴任したわずか2か月後クラブ活動中に脊髄を損傷して、肩から下の感覚を失ってしまいます。
9年間の入院生活
自由にならない身体
星野さんの絶望と苦悩はもう察するに余りあります。
そこから花の絵を描くことに希望を見出して、口に筆をくわえて、何度も何度も何度も練習して…
そんな星野さんが語る
悲しみも苦しみもあるからこそ
「私が私になってゆく」という言葉の重みがいつも私に勇気を与えてくれました。
もうひとつ、私が好きな星野さんの詩文を紹介したいと思います。
絶望の淵にいた星野さんを救い上げてくれたのは献身的な介護を続ける母親の存在だったそうです。
「もう一度だけ手が動くなら…」
星野さんの母親への想いに胸がきゅっと掴まれる詩です。
神様がたった一度だけ
この腕を動かして下さるとしたら
母の肩をたたかせてもらおう
風に揺れるぺんぺん草の
実を見ていたら
そんな日が本当に
来るような気がした
~『ぺんぺん草』星野富弘
この詩の説明に、星野さんの小3の時の担任長谷川先生に言われた言葉が出てきます。
「星野くんは肩揉みがうまいね。お母さんにもやってあげているのかしら。」
担任の肩揉みはしても、星野さんは母親の肩を揉んだりした事はなかったそうです。
事故の後、介護をする母親を見ながら事故の後、介護をする母親を見ながら、星野さんは長谷川先生の言葉を思い出していました。
いつかじゃなくて「今」の大切さ
この詩に出会って改めて感じさせられました。
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