ちょっと投稿が開いてしまいました。
何をしてたかと言いますと、落ち込んでおりました…笑
きっかけは東京に学びに行った時に先生に言われた
「悲しみをちゃんと感じた方がいいよ」の一言でした。
(えっ、私悲しくなんてないですよ)
と言う私に、
「悲しくなかったら嬉しいはずだよ感情は本当は同じものだから。
悲しくも嬉しくもないなら耐えるのが辛いので麻痺させている。
痛み止めが効いているから感じないんだよ。
見ない振りしたり、抑え込んだ気持ちはあとで反乱を起こすよ。」と。
先生が私に何を視たのかは不明ですが、気持ちを抑え込むと暴発するのはよーく分かります。
素直に心を覗きにいってみたらパンドラの箱が開いたみたいに「悲しい」が沢山出てきてどうしようも無くなってしまいました…
彼氏と別れてからのこの3ヶ月間。確かに私は自分の内面と向き合わないままでした。
忙しくしているうちに気持ちも晴れてきていい感じとさえ思ってました。
蓋…してたんですね。
もしかしたら、彼氏と別れるずっと前から私は悲しいし寂しかったのかもしれません。
でもね
自分の機嫌は自分で取らなきゃいけないし
他人に迷惑は掛けちゃいけないし
いい大人だし
みんな大なり小なり悩みながらやってるんだし
頑張れば報われるって色んな人が言ってるし
がんばれ、がんばれ、がんばれ…
そう自分に言い聞かせていました。
私の中には大きい私と小さい私の2人が同居しています。
小さな私はしょっちゅう泣いているから大きな私はその子が元気になるようにナイトになって色んな挑戦をやり続けていました。
でも、本当は大きな私も小さい私の隣でビービー泣いていたかった時もあったんですね…
大きい私にちょっと無理させ過ぎてたみたいです。
おみくじで「茨の道を行きなさい」ってでた時、本当は少し凹みました。
「頑張ったからもう報われる」っておみくじには言って貰いたかったのかもしれません。
おみくじや占いに動揺するのは心が弱ってる証拠。
そう思うと「がんばれ」とか「行動して」とか前向きな事が書けなくなって投稿が止まってしまいました。
神話の中のパンドラの箱はたくさんの禍いが飛び出したあと、箱の中にたったひとつ「希望」が残ります。
私にとっての「希望」は「そのままの自分を受け入れて貰う事」なのかもしれません。
他人に求めちゃダメだってわかってはいるんですけどね…
パンドラの箱に残った「希望」の解釈は2通りあるそうです。
●「禍い」だらけの世の中でも人間には「希望」がある。だから人間は「希望」を胸に「禍い」を乗り越えていける。
●「禍い」の中でも未来に「希望」を見てしまうので全てを諦めて受け入れる事ができずに人間は、願っては叶わずに絶望するということを繰り返す。
ニーチェなんかは
「希望は本当は禍の中でも最悪のものである。希望は人間の苦しみを長引かせるのであるから」とまで言ってます。
…夢も希望もないですね笑
でも、具体的に「目標」にしないと夢や希望は夢や希望でしかないですしニーチェの言うことも一理あるかもしれません。
つらつらと長くとりとめない文章になってしまいました。
ニーチェとか持ち出して難しく考えてるからドツボに嵌るんですよね笑
頑張りたい自分と頑張れない自分
両方認めてヨシヨシしてあげようと思います。
これからも上がったり下がったりがあるかもしれませんが、普通の私がどう感じているかをそのまま伝える事が私がブログを書く意味なのかななんて思ったりしています。
また、日々の学びや気付きを投稿しますね。これからもよろしくお願いします。
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