今日は、この所私のブログの中で出てきていた
「物事をそのまま観る」について考えてみたいと思います。
お察しの通り、私は今、起きるモノゴトを思考に囚われずに観る訓練?をしています。
悟る、悟らないはさて置き
出来事を本当の意味でフラットに観られるようになったら
起こる苦しみから自由になって
もっと軽やかに生きられるんじゃないかなと思ってるんですよね。
「自分」を出さずに物事をありのままに見つめることを
仏教では「如実知見(にょじつちけん)」といいます。
この「如実知見」が難しい理由は
私たちは生まれた時には既に思考の世界に「放り込まれて」いて、
それを前提条件として育ち考えたり判断したりしているからです。
その中で育っていくと当然のように起こった出来事に自分の欲を伴った「物語」を付けるようになります。
- カバン+ブランド=高い=良い
- 道端+ゴミ=ポイ捨て=悪い
- イケメン=見てて心地いい=良い
無意識に判断してしまう。
これは、もう癖です。
「顔のパーツが整っている事に何の意味もない」とどんなに自分に言い聞かせた所で
イケメン俳優がテレビに出てきたら「かっこいい♡」っと喜びの感情が湧いてきてそれが進むと執着が生まれます。
どんなに頑張って知識を入れてもイケメンはイケメンに見えてしまう。
そんな状態から「ありのままで観る」状態になろうと思うと
いままで事実だと思っていた認識自体を転換させないといけません。
そういう見方があるんだと思考を使って「信じる」のではなく
体感レベルで「知る」ことが必要になります。
本を読んで、知識を増やしてそれを元にいくら考えても
心の底から実感できないと意味はないんです。
仏教を学ぶ人は(私も含めて)行学の「学」の部分を重視しがちですが
「行」の瞑想やその他の実践をやらないと仏教の本当の所が分からないんですね。
ということで、「物事をそのまま観る」って難しいよね〜という事をダラダラ書いただけの投稿になってしまいました。笑
「物事をそのまま観る」には「行」にちゃんと取り組む事
この機会にしっかり瞑想習慣を身につけようと思います。
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