昨日の予告通り今日は「空(くう)」についてお話したいと思います。
なぜ、わざわざ予告したのか‥
それは私が「空」が何なのかをまだ落とし込めてないからです(汗)
仏教を学ぶと必ず出てくる「空」
「空」は頭で理解するだけでは意味がなく体感的に落とし込まないといけないと言われています。
修行僧でもない私がどこまでいけるか分かりませんが、「この世界は空である」を体得するにもまず知識から‥という事で時間のある週末にブログにまとめてみる事にしました。
(みなさんを付き合わせてすいません)
それでは、早速。
私が「空」を知ったのは「般若心経」からでした。
『般若心経』は「空」の思想を説いたお経だと言われています。
その中で出てくる『色即是空』これは仏教の教えの主なものの中の一つです。
この言葉の解釈は色んな人が色んな事を言っているので
ひとまずウキペディアを見てみます。
色即是空(しきそくぜくう)とは、『般若心経』等にある言葉で、仏教の根本教理といわれる。
ウキペディアより
この世のすべてのものは恒常な実体はなく縁起によって存在する、という仏教の基本的な教義。
空即是色と対をなす。「色即是空」の区切りは「色、即是、空」とされる。
色(ルーパ)は、宇宙に存在するすべての形ある物質や現象を意味し、空(シューニャ)は、恒常な実体がないという意味。
すなわち、目に見えるもの、形づくられたもの(色)は、実体として存在せずに時々刻々と変化しているものであり、不変なる実体は存在しない(空)。
仏教の根本的考えは因果性(縁起)であり、その原因(因果)が失われれば、たちまち現象(色)は消え去る。
うーん、分かるような分からないような‥
ウキペディアによると「空は、恒常な実体がないという意味。」
との事。
この”恒常な”という所がポイントのようです。無いわけではなく、一定でなく絶対的でないんです。
「私」が見ているものは、「私」の脳で画像処理したイメージです。
それは単に自分の経験の下に判断した、私独自のもので、他人のイメージとは違います。
人それぞれの、相対的な「モノ」です。つまり、「私が見ているモノ」は、真のモノの姿ではないかもしれません。
「空」は空(から)とも読みます。
たとえば水の入っていない空(から)のコップがあるとします。この場合、「コップは空」です。でも、「コップは無(む)」とはいえません。
コップが空ということとコップが無いということとは別です。
無いのはコップではなくて水です。インド人は、このことを「コップには水の無がある」と表現します。
コップは空だからこそ、水でも何でも入れることができるのです。
仏教のいう「色即是空」が伝えたいのは全ての物質や現象を判断せずそのまま観なさいという事なんじゃないかというのが私の今の解釈です。
私が私と思っている絶対的な存在=自我を空にする=無我にすることによりモノゴトの本質が観えてくる。
私が今見えているものを見ようとしなかったら、本当はそこに何が観えるのか
それを観るためのトレーニングが修行や禅(瞑想)なのではないでしょうか。
奥が深い「空理論」今日は時間切れなのでまた、じっくり検証したいと思います。
最後までお付き合い下さりありがとうございました。
~あとがき~
今日はランニングついでに、母とお花見をしました。
(私はランニング、母は車で現地集合笑)
いろいろ制限はありますが
冬の間春を待つような穏やかな気持ちで
ことの収束を待っていられたらいいなと
そんな風に思っています。
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