今日は、山へタケノコ狩りに行きました。
(昔話みたいな始まり方ですね笑)
シャベル片手に意気揚々とタケノコを探して回りましたが収穫はゼロ(泣)
ご近所さんからお裾分けして貰ったタケノコはこんなに立派に育ってるのに‥
ウチの竹とは種類が違うのかな?
タケノコ三昧の日々はまだ先になりそうです。
今日は、昨日に引き続き困難にあった時の考え方をシェアしたいと思います。
今日見た動画の中でこんな言葉がでてきました。
“その困難が自分の手に負えない時はその困難を愛したらいい”
はぁー??
ってなりました?(笑)
マザーテレサ的な博愛精神を持てって事なら、なかなかハードルが高いなと私も思いました。
でも、動画で語られた「愛」というのは普段私たちが考える「愛」とは少し違うようです。
私たちが考える愛は好きの延長線上に生まれる愛です。
その愛を困難に当てはめようとしたら「愛さなければいけない」「愛すべき」
と苦しみやストレスが生まれます。
そうではなく、困難で生まれるネガティブはちゃんと観て感じ切る。
その上で困難があるからこそのポジティブな面を観に行って感じてみるというのです。
物事にはポジティブな面とネガティブな面が必ず同じだけある。
これは、人間行動学の世界的権威であるDr.ディマティーニ の言葉です。
困難と思っていた出来事に対して、ポジティブとネガティブを同時に同量感じる事ができると、それらは互いに打ち消しあってその出来事は解釈の無いただの透明な愛になるそうです。
その事に対する感情が無くなった時起こる事は、ただの事象になってあなたの人生に何も影響を与えなくなる。
そうやって困難を無力化したらあなたが人生でこれをしたいと思うものにだけエネルギーを注ぐ事ができるんですよ。
動画はこのように結ばれていました。
“起きることには良いも悪いもない解釈がそこに意味を付ける”
最近の私の研究テーマです。
今日だって、起きた事はタケノコが無かった。それだけです。
そこに解釈を加えて意味付けしたのは私の思考でした。
今までの価値観や解釈を手放せたら、もっと軽やかに世界を観られるようになるのでしょうが(それって楽しいの?)という内なる声が湧いてきてしまいます。
上がったり下がったりの人生ゲームに私は、まだ未練があるようです‥
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